第0回 寒河江川DJキャンプ

 はじめてやった「何か」というのは、決して大きな事でなくても記憶に鮮明に残っていたりするもので、この寒河江川の川辺でやった音楽キャンプは空の色も空気の匂いも、女の子と話したドキドキも、当時の自分にとっては忘れられない思い出である。気がつけばあれから15年。結婚もし、子供もでき、周りの皆もそれぞれ自分の家庭を持ち、目まぐるしく状況は変わっていった訳であるが、根本的なところはこの日から全く変わっておらず、それが良いのか悪いのか、結局のところ何も成長できていない=チェリーボーイマインドから脱することのできない自分達がいる事に間違いはない。
 この頃のチェリーボーイ達の創設メンバーは、私(ハンダ)を含む仙台電波高専の同級生、ユウ、キン、そして寒河江の仲間達がいて、その後イツキという変態映画男(のちに林業家となる)が加わり、次第に不思議な仲間達が次々に有機的に繋がっていくのである。
 私は山形の中学を卒業した後、仙台高専の寮に入ったわけであるが、そこはある意味特殊な空間で全国各地からちょっと風変わりな学生達が集まってくる。そして卒業後は全国各地に散り散りになってしまい、中々再会できる機会もなくなってしまうわけであるが、私たちは年に一度、戻りたかった。
どこに戻りたかったのか。それは場所ではなく、チェリーボーイマインドネスな精神的に帰化できる場所だったんだろう。君もきっとわかるだろう?あの頃、あの青臭い青春の日々。永遠の若さを手に入れた不良達への鎮魂歌(チンコンカ)を歌う場所。つまりそれがCBJAMなんだよ。(すみません酔ってます)

 「なにがおもしぇーごどないの?」山形の不良の会話は決まってこの言葉から始まる。オモシェーって何だず。つまりは「女に関係する事」なのである。今だからこそSNSがあり、デジカメがあり、様々な考え方や表現が認められるようになってきたと思う。本当にいい時代になった。当時私はニコンのF3を首からぶら下げ、電子工作&PC好きで、フォークギターを持ってアンダーグラウンドな60’sフォークを弾き語っていた。いわゆる当時はオタクという人種である。もちろん女の子と会話が弾むわけもなく、彼女などできるはずがない。しかし、この音楽キャンプを皮切りに自分のスキルが活かせる楽しみを知った。写真を撮って、チラシやwebを作り、企画を練って野外ライブを行う。音響関係も得意だし、自分でも歌える。歌うとチョットだけモテる。そして仲間とのコミニュケーション力が育まれる。この音楽キャンプを継続していけばいつか彼女ができるかもしれないと思ったのである(真面目に!)

 今回、CBJAMページを作るにあたって、古いハードディスクを漁り、過去のテキストや写真を探したのであるが、当時の自分のブログや日記を見ていると当時の自分がもがいている姿を見て何だか「もつこぐ」(可哀想に)なってくる。今では良い仲間達、家族、仕事に恵まれているわけであるが、たまに当時の自分のような人間を見かけると、どうしても声をかけたくなってしまうのである。俺も、チェリーボーイだったんだよ!と。そんな意味でも我々が大人になっていく中で見つけた何かをこのイベントの中に潜ませたいし、それをなんとなく感じて共有してもらいたい。音楽とか別に聴かない人も、人と繋がることに不信感を抱いてしまう人も、実はそうゆう偏屈な人にこそ参加して欲しいイベントです。主催メンバーのCBJAMに対する考え方はそれぞれ違うんだけど、私はこの祭りを通してちびちびっとでもみんなが平和になれますようにっ!という願いを込めてやっています。

(写真はアル中で泡を吹いているユウ氏。2003.8 Nikon F3にて撮影。)

2018.6.10 Handa